特に、「今の現場を辞めたいが、自分には市場で通用するスキルがないため、次がない」という思い込みは、冷静な判断を妨げる最大の要因となります。本稿では、SESエンジニアが陥りやすい自己評価の罠と、実際の転職市場における評価のズレを整理し、現状を打開するための視点を提示します。
目次
「SES辞めたいけどスキルがない」という自己認識は正しいか
「スキルがない」という悩みは、エンジニアとしての理想像と現在の業務内容とのギャップから生まれることが大半です。しかし、転職市場において企業が評価する「スキル」と、個人が不足を感じている「技術力」には、しばしば認識の乖離が見られます。ここでは、SESエンジニアが過小評価しがちな能力について再定義します。
SES業務で自然と身についているスキルの棚卸し
多くのSESエンジニアは、プログラミング言語を用いたコーディング能力のみを「スキル」と定義しがちです。しかし、実際の業務プロセスを細分化すると、他にも多くの実務能力が蓄積されていることに気づきます。
例えば、客先常駐という環境下で求められる「環境適応能力」や、仕様書や設計書の読み解きを行う「ドキュメント理解力」、さらには報告・連絡・相談といった基本的な「ビジネスコミュニケーション能力」は、どのような職場でも汎用的に求められるスキルです。特に、異なる現場文化や独自ルールに即座に適応し、業務を遂行してきた経験は、変化の激しい現代のビジネス環境において高い評価対象となります。これらは無意識に行っているため自覚しにくいですが、職務経歴書においては立派なアピール材料となり得ます。
テスター・運用保守経験が評価される意外なポイント
「テストや運用保守ばかりで、開発経験がない」と嘆く声は多いですが、この経験をポジティブに評価する企業も存在します。運用保守の経験者は、システムの安定稼働の重要性を肌感覚で理解しており、障害発生時の対応フローや、トラブルを未然に防ぐための視点を持っています。
開発偏重のエンジニアは「動けばよい」という思考に陥りやすい一方で、運用経験者は「長期的にメンテナンスしやすいか」「ユーザーへの影響はどうか」という視点を持つ傾向があります。このリスク管理能力やユーザー視点は、上流工程やプロジェクトマネジメント(PMO)補佐などのポジションで重宝される要素です。単純なコード量ではなく、「システムを止めないための知見」を持っていることは、市場における一つの差別化要因となります。
自己評価が低くなりやすいSES特有の構造
SESエンジニアが自己評価を低く見積もってしまう背景には、業界特有の構造的問題があります。一つは、成果が所属会社ではなく常駐先に帰属するため、個人の実績として実感しにくい点です。また、商流が深くなるほど現場での裁量が狭まり、「言われたことだけをやっている」という感覚に陥りやすくなります。
さらに、SNSなどで発信される「自社開発企業の高年収エンジニア」や「モダンな技術を駆使するフリーランス」といった、一部の目立つ層と比較してしまうことも要因です。比較対象が業界の上位数パーセントに偏っているため、標準的なスキルを持っていても「自分は何もできない」という錯覚に陥り、心理的な「詰み」状態を作り出しているのです。
市場価値は“環境”によって変動する事実
「市場価値」とは絶対的な数値ではなく、需要と供給のバランスによって決まる相対的なものです。ある現場では「単なるテスター」として扱われていた人材が、別の現場では「テスト設計ができる貴重な人材」や「顧客折衝ができるエンジニア」として重宝されるケースは珍しくありません。
スキルがないのではなく、「現在の環境ではそのスキルが評価指標に入っていない」だけである可能性が高いのです。例えば、技術力では勝負できないと感じていても、調整力やドキュメント作成能力を活かして、PMOやITコンサルタントのアシスタントへとキャリアチェンジし、年収を上げる事例も多々あります。場所を変えることで、既存の手持ちカード(経験)の価値が逆転することは、転職市場の定石といえます。
SES30代未経験は本当に詰みなのか?データで見る転職市場
「30代未経験」という言葉には強いネガティブな響きがありますが、これを「IT業界での就業経験がある30代」と捉え直すと、景色は変わります。完全な異業種からの転職とは異なり、SESとしての就業年数は確実にカウントされます。ここでは、データや市場動向から見る30代SESエンジニアの現実について解説します。
IT人材不足の現状と30代への需要
経済産業省の調査データなどでも示されている通り、国内のIT人材不足は深刻化の一途をたどっています。2030年には最大で約79万人のIT人材が不足すると予測されており、企業は20代の若手層だけでは採用ニーズを満たせなくなっています。
この状況下で、30代への採用意欲は決して低くありません。新卒や第二新卒のような教育コストがかからず、社会人としての基礎ができている30代は、即戦力に近い層として期待されます。特に、IT業界の空気感や用語を理解している人材は、教育のリスクが低いため、採用担当者にとっては安心材料となります。「30代だから遅い」というのは、あくまで一部の人気企業や極端なハイスキル求人に限った話であり、業界全体を見渡せば門戸は開かれています。
年齢とともに変化する企業からの期待値
20代には「ポテンシャルや吸収力」が求められるのに対し、30代には「安定感や遂行力」が求められます。技術的な爆発力よりも、プロジェクトを円滑に進めるための調整能力や、後輩への指導力、チーム内でのバランサーとしての役割が期待されるようになります。
SESで長く働いてきた人は、様々なタイプの人間関係や理不尽な現場を経験していることが多く、対人ストレスへの耐性や柔軟性が備わっている傾向があります。企業側は、技術スキル単体ではなく、こうした「組織で働くための成熟度」を30代の採用基準に組み込んでいます。したがって、プログラミングスキルそのものよりも、業務遂行における信頼性や安定性をアピールすることが、この年代の転職成功のカギとなります。
「未経験扱い」にならないケースとポテンシャル採用
「開発未経験」であっても、IT業界での実務経験が数年あれば、転職市場において完全な「未経験者」とは見なされません。インフラ監視、ヘルプデスク、テスト実施などの業務であっても、ITシステムの裏側や業務フローを知っていることは大きなアドバンテージです。
企業によっては、技術的なキャッチアップが必要であっても、業界経験者の採用枠(ポテンシャル採用に近い枠)を用意している場合があります。これは、技術は後から教えることができても、顧客対応の作法や業界特有の常識は一朝一夕には身につかないと判断しているためです。「開発経験ゼロ=価値ゼロ」ではなく、「IT業界経験あり+開発への意欲あり」というポジショニングを取ることで、選考の土俵に乗ることは十分に可能です。
企業が見ているのは技術スキルだけではない
採用面接において、企業が見ているのは技術ポートフォリオだけではありません。「なぜその現場でスキルが伸びなかったのか」「今後どうなりたいのか」という課題認識やキャリアへの思考プロセスも重要な評価対象です。
SESという環境下でも、自主的に学習をしていたか、改善提案を試みたか、あるいは環境の制約を冷静に分析できているかといった「思考の深さ」が問われます。30代であれば尚更、現状に対する不満を述べるだけでなく、それをどう打開しようとしているかという姿勢が見られています。技術不足を補うのは、こうした仕事に対する姿勢や、コミュニケーションにおける論理的説明能力であり、これらが備わっていれば「一緒に働きたい」と思わせることは十分に可能です。
「次がない」と思い込んでしまう思考パターン
SESエンジニアが「今の現場を辞めたら他に行き場がない」と追い詰められてしまう背景には、能力の有無以前に、特有の思考の癖や環境要因が強く影響しています。客観的に見れば選択肢は複数あるにもかかわらず、視野が狭まることで「詰み」を感じてしまう心理構造を紐解きます。
特定の現場に固定されることによる視野狭窄
SESという働き方は、長期間同じ現場や同じプロジェクトに固定されることが少なくありません。特定の顧客ルールやレガシーな独自システムに深く適応すればするほど、その環境でしか通用しない人間になりつつあるという恐怖感が醸成されます。
毎日顔を合わせるのが同じチームメンバーや協力会社の人間に限られるため、情報源が偏り、「ここでの常識が業界の全て」と錯覚しやすくなります。外部の勉強会や他社エンジニアとの交流が少ない場合、市場全体の技術トレンドや、他のSES企業、あるいは事業会社の働き方と比較する機会が失われ、現状維持バイアスが強化されてしまうのです。
転職活動に対する心理的ハードルと誤解
多くの人が「転職活動」を「今の会社を辞める決断をしてから行うもの」と重く捉えすぎています。「内定が出たら必ず転職しなければならない」「今の会社に迷惑をかけてはいけない」といった真面目さが、初動を遅らせる要因となっています。
しかし、実際には転職活動は「市場調査」の側面が強く、オファー内容を見てから現職に留まる判断をしても何ら問題はありません。応募書類を作成し、カジュアル面談を受けるプロセス自体が、自分の現在地を知るための活動です。この「お試し感覚」を持てないことが、心理的な閉塞感を生み出し、「次がない」という思い込みを強固にしています。
自社開発やハイスキル層との比較による自信喪失
SNSやテックブログなどで目にする情報は、往々にして「キラキラした成功例」に偏っています。「モダンな言語でフルスタック開発」「自社SaaSが大ヒット」「フリーランスで月収100万」といった華やかな情報ばかりを目にすると、自分の業務内容とのギャップに絶望しがちです。
しかし、日本のIT業界の構造上、システムインテグレーター(SIer)やSESが支えている領域は依然として巨大であり、地道な業務システムの保守や運用が社会インフラを支えています。比較対象を「Web系ベンチャーのトップ層」だけに設定してしまうと、本来評価されるべき自身の実務経験(泥臭い調整や障害対応など)が無価値に思えてしまい、自ら選択肢を消してしまう結果となります。
情報不足が将来への恐怖を増幅させる
人間は未知のものに対して恐怖を感じる習性があります。「もし転職して給料が下がったらどうしよう」「次の現場がもっと酷かったらどうしよう」という不安は、具体的なデータや事例を知らないことから生じる想像上の恐怖です。
実際に自身の経歴でどのような求人があるのか、同年代の平均的な年収はいくらか、30代未経験可の求人はどの程度存在するのかといった「一次情報」に触れていないことが、漠然とした不安を増幅させています。情報は武器であり、防具でもあります。恐怖心の正体は、実は「自分の市場価値を知ることへの恐れ」であるケースも少なくありません。
スキル不安を解消するための現実的なアクション
不安を解消する唯一の方法は、頭の中で悩むことではなく、物理的に手を動かして客観的な事実を集めることです。ここでは、スキルに自信がない人がまず取り組むべき、リスクのない具体的なアクションを提示します。
客観的なスキル棚卸しの具体的な手順
まずは、これまで経験してきた業務を「技術」と「業務」に分けて書き出す作業から始めます。技術面では、扱った言語やツールだけでなく、OS、サーバー、クラウド環境(AWS/Azureなど)の種類も漏らさず記載します。たとえ触った程度でも「知見あり」としてリストアップすることが重要です。
業務面では、「誰と」「どのような規模で」「何のために」仕事をしたかを言語化します。「リーダー補佐として進捗管理をした」「顧客からの問い合わせを一次受けした」「新人へのOJTを担当した」といった事実は、立派なマネジメントやコミュニケーションの経験値です。自分では当たり前だと思っていることの中に、他社が欲しがる要素が隠れています。
職務経歴書をアウトプットしてみる意義
職務経歴書を作成することは、転職するためだけではなく、自分自身を客観視するための最良の手段です。頭の中にあるモヤモヤとした経歴を、指定のフォーマットに落とし込むことで、「意外と書けることがある」あるいは「ここは補強が必要だ」という事実が可視化されます。
完成度は6割で構いません。まずは形にしてみることで、自分のキャリアが「何もない」状態ではないことに気づけます。また、言語化することで、面接や面談の場で自分の強みを説明するためのロジックが整理され、自信の回復にもつながります。
転職エージェントを「市場価値診断ツール」として使う
転職エージェントへの登録は、必ずしも今すぐ転職することを意味しません。彼らを「無料で使える市場価値診断ツール」として活用する視点が重要です。キャリアアドバイザーとの面談を通じて、「この経歴なら年収〇〇万円が相場です」「今のトレンドならこの経験が評価されます」といったフィードバックをもらうことが目的です。
第三者の視点が入ることで、自分では気づかなかった強み(例えば、金融業界の知識がある、特定のツールの使用経験がある等)が発掘されることがあります。エージェントは求職者を売り込むプロですので、彼らの視点を借りて自分の市場価値を再定義することは、独りよがりな不安を解消する特効薬となります。
まずは現状把握から始めることの重要性
焦って資格勉強を始めたり、闇雲に求人サイトを眺めたりする前に、まずは「今の自分には何ができて、市場はどうなっているのか」という現状把握に時間を割くべきです。現在地がわからなければ、目的地へのルートも描けません。
市場価値を知った結果、「今の現場に留まるほうが得策だ」という結論に至ることも立派な成果です。重要なのは、漠然とした不安に駆られて動けなくなる状態から脱し、根拠を持って自分のキャリアを選択できる状態になることです。「辞めるか辞めないか」の二元論ではなく、「自分の価値を確認しに行く」という軽いステップから始めてみることが、現状打破の第一歩となります。
出典・参考
- 経済産業省|IT人材需給に関する調査(PDF)(2026年2月11日確認)
- IPA 独立行政法人 情報処理推進機構|DX動向2024 - 深刻化するDXを推進する人材不足と課題(2026年2月11日確認)