日々の診療業務の中で、「周囲と同じスピードで処理できない」「ミスに対する不安が拭えない」といった感覚に悩む医師は少なくありません。特に、高度なマルチタスクが求められる急性期の現場や、一刻を争う救急対応の場面では、自身の特性と業務内容のズレを痛感し、「自分は医師に向いていないのではないか」と自責の念を抱くケースが見られます。
しかし、こうした「生きづらさ」や「つらさ」の正体は、個人の能力不足だけにあるとは限りません。医師という職業には多様な働き方があり、環境や役割とのミスマッチが過度な消耗を招いている可能性が高いのです。本稿では、医師が感じる違和感の原因を整理し、無理なくキャリアを継続するための環境選びの視点を解説します。
目次
「自分は医師に向いていないのでは」と感じる瞬間
日々の業務において、特定の状況下で強いストレスや苦手意識を感じることが、自己否定につながる入り口となりがちです。ここでは、多くの医師が悩みとして挙げる具体的な場面と、その背景にある心理的負荷について整理します。
ケアレスミスを何度も思い返してしまう
医学的な知識不足ではないにもかかわらず、処方入力の数値間違いやカルテ記載の不備といった細かなミスを繰り返してしまうことがあります。注意機能の配分が苦手な特性を持つ場合、確認作業自体に多大なエネルギーを要するため、疲労時にミスが誘発されやすくなる傾向があります。
例えば、指示出しの際に単位を誤りかけたり、患者名の確認が一瞬漏れたりするヒヤリハットが続くと、「いつか取り返しのつかない事故を起こすのではないか」という恐怖心が常在化してしまいます。この不安が過剰になると、確認行為そのものが強迫的になり、さらに業務スピードが落ちるという悪循環に陥るリスクもあります。ミスの頻度そのものより、「ミスに対する過度な恐怖心」が精神的なリソースを圧迫している状態と言えるでしょう。
マルチタスクや割り込み対応が極端に消耗する
病棟業務中に外来から呼び出され、さらにPHSで救急対応の要請が入るといった状況で、思考がフリーズしてしまう現象も多くの医師を悩ませています。業務の優先順位を瞬時に入れ替える「セットシフティング(切り替え機能)」に苦手意識がある場合、割り込みタスクは著しいストレス源となります。
同時に複数の指示を出さなければならない場面で、頭が真っ白になり、何から手をつければよいかわからなくなる感覚に襲われます。周囲が当たり前のように並行処理を行っている環境では、「なぜ自分だけできないのか」という孤立感を深めやすくなりますが、これは処理能力の低さではなく、シングルタスクに集中することで力を発揮するタイプが、環境要因によって阻害されている可能性があります。
スピード重視の現場で置いていかれる感覚
判断の速さと行動量が最優先される現場において、自分のペースとかみ合わず、常に焦燥感に駆られるケースです。熟慮型や慎重型の思考特性を持つ医師にとって、即断即決を求められる環境は、本来の強みである「丁寧さ」や「深掘り」を封印されることに等しいためです。
救急外来や外科の手術中など、反射的な対応が求められる場面で一瞬の遅れが生じ、上級医やコメディカルから叱責を受けることが続くと、自信を喪失してしまいます。スピードへの適応を焦るあまり、本質的な診療の質がおろそかになる恐れもあります。「遅い」のではなく、「熟考が必要なタイプ」であると捉え直す視点が必要です。
評価されないことで自己肯定感が下がる
懸命に業務をこなしていても、組織が求める「速さ」や「器用さ」の基準を満たせないため、正当な評価を得られないと感じる状況です。医療現場、特に急性期病院では、処理件数や手技の速さが「優秀さ」の指標となりやすく、患者への傾聴や丁寧な説明といった質的な貢献が見過ごされがちです。
患者からの信頼は厚いものの、事務処理や回転率の面で指導を受けることが多く、職場での居場所がないように感じてしまうことがあります。評価軸が偏った環境に長く身を置くと、自身の医師としての価値そのものを低く見積もってしまいがちですが、現在の評価はあくまで「その病院の物差し」であり、絶対的な医師の価値ではないことを認識する必要があります。
発達特性と医師の仕事は本当に相性が悪いのか
「生きづらさ」の背景に、ADHDやASDといった発達特性の傾向を自覚している医師もいます。しかし、特性があることと医師として不適格であることはイコールではありません。ここでは、特性と職業適性の関係を再定義します。
医師の仕事は一種類ではない
「医師」という職業は一つですが、その業務内容は診療科や施設形態によって全く異なる職種と言えるほど多岐にわたります。瞬間的な判断を求められる救命救急と、長期的な経過観察を行う精神科やリハビリテーション科では、必要とされる脳の使い方が異なります。
また、研究職、産業医、健診医、あるいは画像診断医など、対人折衝や緊急対応が少ない分野も存在します。初期研修や専攻医の段階では、どうしても急性期や病棟管理などの「一般的な医師像」に触れる機会が多く、そこで挫折感を感じやすい構造がありますが、一部の業務への不適応を、医師という職業全体への不適応と拡大解釈する必要はありません。
診療科・役割で求められる能力は違う
自身の特性が「欠点」となるか「強み」となるかは、選択する診療科や役割によって反転します。例えば、興味の対象が次々と移り変わる特性は、幅広い疾患を診る総合診療や救急では「探索心」として機能する場合があり、一方で、一つのことに没頭する特性は、病理診断や専門性の高い研究分野で高い成果を生む可能性があります。
細かいミスが苦手な医師が、全体を俯瞰する公衆衛生分野で活躍したり、対人コミュニケーションに苦痛を感じる医師が、読影業務で高い診断能力を発揮したりする事例もあります。「どの科なら楽か」ではなく、「どの科なら自分の特性(集中力や興味の方向性)が活きるか」という視点で考えることが重要です。適材適所は医療現場においても成立します。
苦手が増幅される職場の構造
個人の特性よりも、職場のシステムや人員配置が「生きづらさ」を増幅させているケースが多く見られます。マニュアルが整備されていない、ダブルチェックの体制がない、クラーク(事務補助)が不足しているといった環境では、事務作業や雑務の負担が医師に集中し、本来の診療能力を発揮できなくなります。
同じ診療科でも、大学病院では研究と雑務に追われて疲弊していた医師が、市中病院やクリニックに移った途端、事務負担が減り水を得た魚のように活躍することは珍しくありません。「自分が変わらなければ」と努力する前に、環境側の不備(サポート不足)を客観視することも大切です。特性によるミスや遅れは、環境側のサポートシステムで十分にカバー可能な場合があります。
「できない」のではなく「消耗している」可能性
「医師に向いていない」と感じる原因は、能力の欠如ではなく、適応のために過剰なエネルギーを使い果たしている「過剰適応」の状態かもしれません。苦手なことをカバーするために常に緊張状態を強いられ、脳のリソースが枯渇すると、判断力の低下や意欲減退(バーンアウト)を引き起こします。
休日は泥のように眠るだけで終わる、趣味を楽しむ余裕がないといった状態は、業務内容はこなせていても、持続可能な働き方ではないサインです。この状態を放置すると、うつ状態などの二次障害につながるリスクがあります。パフォーマンスが出せているかだけでなく、「余力を残して働けているか」も適性を判断する重要な指標です。
生きづらさを感じやすい職場の共通点
個人の特性に関わらず、特定の組織風土や労働環境が「生きづらさ」を誘発しているケースは少なくありません。特に適応に課題を感じている医師にとって、以下のような特徴を持つ職場は、本来持っている能力の発揮を著しく阻害する要因となります。
指示が曖昧で属人化している
業務フローがマニュアル化されておらず、「背中を見て覚える」「空気を読んで動く」ことが求められる環境です。明確な言語化やルールがない組織では、「暗黙の了解」を察知する能力が過剰に求められます。これは、曖昧な状況判断に苦手意識を持つ医師にとって、診療行為以前の大きなストレス要因となります。
上級医によって指示内容が毎回異なる、あるいは「いい感じでやっておいて」といった抽象的な指示が飛び交う医局では、確認作業だけで精神力を消耗し、ミスのリスクも高まります。こうした環境での失敗は、業務遂行能力ではなく、コミュニケーションの非対称性に起因するものです。業務が標準化され、誰がやっても同じ結果になる仕組み(クリニカルパス等)が整備されているかどうかが、働きやすさを左右します。
常に急かされる文化
患者の回転率や時間外労働の削減が目的化し、常に「早くすること」が最上位の価値観となっている職場です。思考を整理する時間が与えられない環境は、慎重なタイプや、切り替えに時間を要するタイプの医師から余裕を奪います。焦りは視野狭窄(トンネルビジョン)を招き、さらなる判断ミスを引き起こす原因となります。
外来診療で1人あたりの時間が厳しく管理され、少しでも長引くと看護師や事務からのプレッシャーがかかるような現場では、患者と向き合うことよりも時間を守ることに意識が支配されてしまいます。スピード適応が難しい場合、その環境に居続ける限り、慢性的な劣等感を抱き続けることになります。「速い医療」だけが正解ではありません。「じっくり向き合う医療」を評価する組織も存在します。
相談しづらい人間関係
上級医やコメディカルに対して、質問や相談を気軽にできない「心理的安全性」の低い職場です。「こんなことも分からないのか」と怒られることを恐れて質問を躊躇した結果、独断で進めてトラブルになるケースは後を絶ちません。特に自己肯定感が低下している医師は、萎縮してしまい報連相が遅れる傾向にあります。
カンファレンスが吊るし上げの場になっていたり、ナースステーションで医師の陰口が聞こえたりするような環境では、常に防御態勢で働くことになり、パフォーマンスは著しく低下します。相談できない環境は、個人のスキルアップを阻害するだけでなく、医療安全上の重大なリスク要因です。未経験の症例や判断に迷う場面で、チームとしてサポートし合える風土があるかどうかが重要です。
ミスを許さない空気感
医療においてミスは避けるべきものですが、エラーが起きた際に「個人の責任」として激しく追及される文化です。「人は誰しも間違える」という前提(フェイルセーフ)に基づいたシステム改善ではなく、個人の反省や精神論で解決しようとする組織では、ミスへの恐怖心が増幅され、かえって緊張によるミスを誘発します。
インシデントレポートが懲罰的な意味合いで運用されていたり、失敗を隠蔽しようとする空気があったりする場合、誠実な医師ほど精神的に追い詰められます。過剰な完璧主義を強いる環境は、医師のメンタルヘルスを損なう最大の要因の一つです。エラーをシステムの問題として捉え、再発防止策を冷静に議論できる職場こそが、安心して長く働ける環境です。
環境を選び直すというキャリアの考え方
現在の職場でうまくいかないからといって、「医師を辞める」か「我慢して続ける」かの二択で考える必要はありません。環境を変えることで、驚くほど適応できるようになる事例は多々あります。ここでは、自分を守りながらキャリアを継続するための選択肢を整理します。
診療科・業務内容を変える
自身の特性と相性の良い領域へ専門を変更、あるいは修正するアプローチです。医師免許の汎用性は高く、診療科によって求められるスキルセットは大きく異なります。マルチタスクが苦手なら、一つの臓器や検査に集中できる科へ、対人業務が負担なら、患者との接触が少ない科へ転科することも現実的な戦略です。
外科系から麻酔科や放射線科へ転向する、あるいは病棟管理のない健診センターや産業医業務へシフトするなど、選択肢は多岐にわたります。転科には専門医取得の再スタートなどのコストも伴いますが、長い医師人生を考えれば、早期の方向転換がプラスに働くことも多いです。「逃げ」ではなく、自分の特性を活かせるフィールドへの「戦略的配置転換」と捉えるべきです。
負荷の少ない働き方(非常勤・定期)
常勤という雇用形態にこだわらず、働く時間や責任の範囲をコントロールする方法です。週5日のフルタイム勤務や当直業務が心身のキャパシティを超えている場合、勤務日数を減らすことでパフォーマンスが安定することがあります。「定期非常勤」の掛け持ちというスタイルであれば、組織への過度な帰属意識や人間関係のしがらみからも解放されやすくなります。
「週3日の定期非常勤+スポット勤務」というフリーランスのような働き方を選択し、自分のペースで診療に従事しながら、精神的な余裕を取り戻した医師の事例もあります。収入や社会保険の面での調整は必要ですが、まずは心身の健康を最優先にするための緊急避難的な措置としても有効です。雇用形態を変えることは、キャリアのダウンサイジングではなく、持続可能性を高めるための調整です。
転職せずに環境を変える方法
今の病院に在籍したまま、配置や業務内容の調整を試みる方法です。大きな組織であれば、病棟担当から外来専従へ、あるいは救急部門から療養病棟へといった異動が可能な場合があります。産業医面談や上司への相談を通じて、診断書ベースではなくとも「適性」を理由に配置転換を申し出ることは権利として認められています。
医局長や部長に「現在の業務量ではミスを誘発する恐れがある」と率直に相談し、当直免除や受け持ち患者数の調整を行ってもらうことで、離職せずに危機を乗り越えたケースもあります。組織の事情で要望が通らないこともありますが、限界を迎えて突然退職するよりは、事前に調整を打診する方が双方にとってメリットがあります。「辞める」という決断をする前に、現職内で環境調整の余地がないかを確認するステップも大切です。
一人で判断しない重要性
適性に悩んでいるときは、自己評価が極端に低くなっており、冷静な判断が難しくなっています。「自分はダメだ」というバイアスがかかった状態では、客観的に見れば「環境が悪い」だけのケースでも、自分を責める方向で結論づけてしまいがちです。また、視野が狭くなり、極端な選択(医師廃業など)に走りやすい傾向があります。
信頼できる先輩医師や、利害関係のない第三者(キャリアアドバイザーやカウンセラー)に話をすることで、「それは君のせいではなく、その病院のシステムがおかしい」と客観的なフィードバックを得られることがあります。同僚や上司は「組織の論理」で引き止める可能性があるため、相談相手は慎重に選ぶ必要があります。自分の市場価値や適性を客観的に評価してくれる「外部の視点」を持つことが、納得感のある選択への第一歩です。
民間医局を使うなら「条件」より「環境情報」を取りに行く

転職エージェントは「給与交渉をする場所」と思われがちですが、環境適応に悩む医師にとっては「組織の内部情報を得るための外部装置」として活用する方が価値があります。特に民間医局は、スポットや非常勤求人に強く、エージェントが現場の「空気感」を把握しているケースが多いため、以下のような使い方が推奨されます。
求人票に出ない情報の重要性
「アットホームな職場」という文言の裏に、どのような人間関係があるかを確認する必要があります。エージェントは、過去にその病院に紹介した医師からフィードバックを得ていることが多く、「事務的なサポートは手厚いか」「トップダウンが激しくないか」「指導体制は放置気味ではないか」といった、求人票には書けない実情(ソフト情報)を持っています。
「過去に離職者が続いている部署ではないか」とストレートに尋ねることで、人間関係に問題がある地雷案件を回避できる確率が上がります。すべてのエージェントが詳細を知っているわけではないため、「現場の雰囲気を具体的に教えてくれる担当者」に当たるまで相談相手を変えるのも一つの手です。条件面のマッチングよりも、カルチャーのマッチングを最優先事項としてエージェントに伝えましょう。
非常勤・スポットで相性を試すという使い方
いきなり常勤で入職するリスクを避けるため、「お試し勤務」として民間医局の強い領域であるスポット・定期非常勤を活用する戦略です。民間医局はスポット求人の保有数が多く、手続きもシステム化されています。実際にその病院で1日働いてみることで、コメディカルの動きや電子カルテの使い勝手、医局の雰囲気を肌で感じることができます。
「まずは週1回の非常勤から始めて、環境に馴染めそうなら常勤への切り替えを検討したい」という条件で交渉を進めることは、ミスマッチを防ぐための賢明な手段です。スポット勤務時の印象と常勤としての扱いは異なる場合もあるため、あくまで「最低限の生理的な相性」を確認する手段と捉えましょう。「入ってみないと分からない」というギャンブルを避け、スモールステップで環境を確認できます。
無理に転職を勧めない相談先かどうか
自己肯定感が下がっているときは、強引な勧誘に流されやすいため、エージェントのスタンスを見極めることが重要です。一部の人材紹介会社は成果報酬のために転職を急かす傾向がありますが、民間医局は比較的「ガツガツしていない」「医師のペースを尊重する」という評判(口コミ傾向)が見られます。
「今はまだ転職すべきか迷っている」「キャリアの棚卸しだけ付き合ってほしい」と伝えた際に、急かさずに話を聞いてくれる担当者であれば、信頼して相談を続ける価値があります。逆に「すぐに決断しましょう」とプレッシャーをかけてくる場合は、担当変更を依頼するか、利用を控える勇気も必要です。自分のキャリアを守るためのパートナーとして、対等な関係を築けるエージェントを選びましょう。
合わないと感じたときの距離の取り方
紹介された案件がしっくりこない場合、気兼ねなく断ることができるのもエージェントを介するメリットです。直接応募の場合、面接後の辞退は心理的な負担が大きいですが、エージェント経由であれば「思っていた環境と違う」という理由で、角を立てずに断りを入れてもらえます。
見学に行ってみて「なんとなく空気が重い」と感じたといった言語化しにくい違和感でも、エージェントを通じて辞退することで、次の候補探しにスムーズに移行できます。断る際は「何が合わなかったか」を具体的にフィードバックすることで、次回の提案精度を高めることができます。「断る力」が弱っている時こそ、間に人を挟むシステムを有効活用してください。
まとめ|向いていないのではなく、合っていないだけかもしれない
医師としてのキャリアに行き詰まりを感じたとき、私たちはつい「自分の能力不足」や「努力不足」に原因を求めがちです。しかし、医療現場におけるパフォーマンスは、個人の資質以上に、周囲の環境やシステムとの相性に大きく左右されます。
環境が変われば評価も変わる
ある病院では「仕事が遅い」と評価されていた医師が、別の病院では「丁寧で患者想い」と絶賛されることは珍しくありません。あなたが感じている「つらさ」は、あなたが劣っている証明ではなく、単に今の場所があなたの特性を活かせる土壌ではないというサインかもしれないのです。
キャリアは何度でも組み直せる
医師免許という資格の最大の強みは、その汎用性と流動性の高さにあります。診療科を変える、働き方を変える、あるいは働く場所を変える。その選択肢は、あなたが思っている以上に開かれています。一度レールから外れたように見えても、それは「自分に合った新しいレール」を敷くための準備期間です。
「続けるために変える」という選択もある
「石の上にも三年」という言葉に縛られて心身を壊してしまっては、元も子もありません。長く医師として働き続けるためにこそ、今、勇気を持って環境を変える選択を肯定してあげてください。あなたが笑顔で働ける場所は、必ずどこかに存在します。