「『好きなことで生きていく』とか『社会に価値提供を』とか、もう聞き飽きたんだよ……」
往復3時間の満員電車。押し潰されそうになりながらスマホを開くと、SNSにはキラキラした起業家や、「会社員なんてオワコン」と煽るインフルエンサーの言葉があふれていました。絶望的な気分で画面をスクロールしていたのは、少し前の私です。
こんにちは!ハルです。
理不尽にキレる上司や、やりがいのない仕事に消耗しつつも、「会社を辞める勇気も、起業するような才能もない」と自己嫌悪に陥っていませんか?
当時の私は、まさにそんな状態でした。ADHD傾向があって忘れ物や先延ばしグセがひどく、仕事でもミスばかり。会社に依存しなきゃ生きていけないのに、その会社に行くのが死ぬほどしんどい。
そんな泥沼の中で副業の情報を漁っていると、よく目にするのが「見せかけの善(社会貢献や夢)」や、逆に「露悪的な煽り(会社は利用してポイ捨てしろ)」ばかりでした。正直、どっちにもなれない自分はどうやって生き延びればいいんだと、途方に暮れていたんですよね。
この記事では、そんな「ズル賢くもなれない、でも聖人君子にもなれない」私が、自分の中のドロドロした弱さや欲望を認めた上で、どうやって副業を通じて「選択肢」を手に入れてきたのか。その等身大の結論を、ぶっちゃけベースで包み隠さずお話しします。
綺麗事は一切書きません。「どうやってこのしんどい現実を生き延びるか」を真剣に考えている方だけ、この先を読んでみてください。
目次
なぜ私は「会社は利用するだけ」という発信に嫌悪感を抱いたのか
副業を始めようと情報収集をしていると、本当にいろんな発信に出会いますよね。その中で私がどうしても受け入れられなかったのが、「会社なんてただ給料をもらう場所。適当に手を抜いて利用するだけ利用して、副業にフルコミットしろ!」という極端な意見でした。
副業推進派なのに共感できなかった理由
私自身、会社に不満があって副業を始めた人間です。だから、方向性としては彼らと同じ「副業推進派」のはずなんですよ。それなのに、なぜか彼らの言葉には強烈な違和感がありました。
「たしかに会社はしんどいけど、そこまで見下す必要あるのかな?」
「一緒に働いている同僚に迷惑をかけてまで、自分だけ抜け駆けするのが『賢い生き方』なの?」
そんなモヤモヤがずっと胸の奥につかえていました。副業で稼ぐためのノウハウを読んでいるはずなのに、読めば読むほど心がささくれ立っていくような感覚だったんです。
そこに見えた利己主義
その違和感の正体は、発信の裏に透けて見える「利己主義」と「他者へのリスペクトの欠如」でした。
「会社員=思考停止した奴隷」と決めつけ、自分はそこから抜け出した特別な存在だと言わんばかりの態度。そこには、「自分が成功するためなら、周りの人間や環境を踏み台にしても構わない」という冷たい合理主義がありました。
え?「ビジネスなんだから合理的に割り切るのが当然でしょ?」って思うかもしれません。
たしかにそうかもしれません。でも、私には無理でした。毎日顔を合わせる同僚が忙しくしている横で、自分だけ「会社は利用するものだから」と割り切ってサボり、副業の内職をする。そんな図太い神経は、私には持ち合わせていなかったんです。
でも自分の中にも同じ感情はある
ただ、ここで「私はそんなひどい人間じゃありません!」と正義ぶるつもりはありません。
正直に白状します。彼らの発信に嫌悪感を抱いたのは、私自身の中にも「会社をうまく利用して、楽して稼ぎたい」という黒い感情が、少なからず存在していたからだと思うんです。
「どうせ評価されないなら、適当にやって給料だけもらえばいいや」
「自分さえ副業で稼げるようになれば、こんな会社いつでも辞めてやる」
満員電車に揺られながら、そんなふうに毒づいていた夜は数え切れません。露悪的な発信者たちを嫌悪しながらも、心のどこかで彼らの「割り切れる強さ」を羨ましく思っていた自分もいたんですよね。その矛盾に気づいたとき、私はひどく落ち込みました。「結局、自分も彼らと同じ穴のムジナじゃないか」と。
私は善人ではない
自分の心の中にある黒い感情と向き合ったとき、私はひとつの結論に達しました。「私は決して、社会のために生きるような善人ではない」ということです。
綺麗事を取り払って、自分の本音をノートに書き出してみたことがあります。そこに出てきたのは、見事なくらい自分本位で、生々しい欲望の数々でした。
お金は欲しい
まず第一に、お金です。
「誰かの役に立ちたい」とか「自己成長のために」なんて嘘はつけません。ただ純粋に、我慢せずにお金を使えるようになりたかったんです。
スーパーで数十円安いお肉を選ぶために悩む時間をなくしたい。たまには妻と値段を気にせず美味しいものを食べに行きたい。子どもに「これやりたい!」と言われたとき、お金を理由に諦めさせたくない。
社会を良くするとか、そんな壮大なビジョンなんてありません。ただ、自分と家族の半径5メートルの生活を豊かにするための「お金」が、喉から手が出るほど欲しかったんです。
自由も欲しい
そして、圧倒的な自由です。
ADHD傾向があり、ただでさえ「普通の人が普通にできること」に人一倍のエネルギーを使ってしまう私にとって、会社のルールや人間関係に縛られる毎日は息苦しくてたまりませんでした。
毎朝決まった時間に起き、満員電車に揺られ、決められた時間までデスクに座り続ける。休みたいときに休めず、やりたくもない仕事に人生の貴重な時間を切り売りする。
「明日は天気がいいから、仕事は休んで散歩に行こう」
そんな、小学生の夏休みみたいな自由が欲しかった。これも、誰のためでもない、自分のための欲望です。
上司に人生を握られたくない
さらに強烈だったのが、この感情です。
当時、私は理 মোহに怒鳴り散らすような上司の下で働いていました。彼の一挙手一投足にビクビクし、機嫌を損ねないように愛想笑いを浮かべる毎日。
「なんで自分の人生の生殺与奪の権を、こんなおじさんに握られてるんだろう?」
評価を下げられれば給料が減る。最悪の場合、居場所がなくなる。一つの会社からしか収入がないということは、文字通り「命綱を上司に握られている」のと同じだったんです。それが悔しくて、情けなくて、絶対にこの状況から抜け出してやるという執念だけが、私を突き動かしていました。
会社に依存したくない
結局のところ、私が求めていたのは「会社からの自立」でした。
「会社が倒産したらどうしよう」
「リストラされたら生きていけない」
そんな不安に怯えながら、会社というシステムにぶら下がって生きるのはもう限界だったんです。だから私は副業を始めました。「意識が高いから」でも「起業家精神があるから」でもありません。
ただひたすらに、自分が安心するため。自分を否定せずに生きていくための「防空壕」を掘るような必死さで、副業という名の泥臭いサバイバルに足を踏み入れたのです。
でも「自分だけが得すればいい」とも思えない葛藤
「会社に依存したくない。でも、だからといって自分だけが得をすればいいって割り切れるのか…?」
これもまた、副業を続ける中でぶち当たった大きな壁でした。自分のドロドロした欲望を認めたものの、かといって「他人を蹴落としてでも這い上がってやる!」というほど、私は非情になりきれなかったんです。
会社から得た恩恵やスキルもある事実
たしかに理不尽な上司への不満は山ほどあるし、往復3時間の通勤は控えめに言って地獄です。でも、「会社なんて搾取されるだけの場所だ」と全否定できるかというと、そうでもないんですよね。
ぶっちゃけ、ADHD傾向があってミスばかりしていた私を見捨てず、なんとか仕事になるまで育ててくれたのは今の会社です。それに、どんなにパフォーマンスが低い月でも、毎月決まった日に必ずお給料を振り込んでくれる。そのおかげで、家族にご飯を食べさせ、子どもを育ててこられたのも事実なんです。
だから、「会社は利用するだけして、あとは知らん顔すればいい」という極端な意見には、どうしても首を縦に振れませんでした。不満はあっても、受けた恩や最低限の責任まで投げ出すのは違うんじゃないか、と。
読者から得たもの、家族の存在
そして、副業としてブログや発信活動を続けていく中で、もう一つ気づいたことがあります。
最初は「自分がお金を稼げればそれでいい」「会社から逃げるための防空壕を作りたい」と、自分のためだけに始めたはずでした。でも、読んでくれた方から「ハルさんの記事のおかげで救われました」「私も同じ悩みを抱えていたので勇気が出ました」といったコメントをもらうと、言葉にできないほど嬉しかったんですよね。
それに、私が副業で夜遅くまでパソコンに向かっている間、文句一つ言わずに支えてくれている妻や、笑顔で癒してくれる子どもたち。
自分を取り巻く人たちの顔を思い浮かべたとき、「この人たちに恥じない生き方をしたいな」という、ごく自然な感情が湧いてきたんです。
「誰かを踏み台にしてまで勝ちたいわけじゃない」という気付き
要するに、私は「自分だけが得をするために、誰かを利用したり踏み台にしたりする」のが猛烈に嫌だったんです。
お金は欲しい。自由も欲しい。でも、同僚に迷惑をかけてまでサボったり、読者を煽って価値のないものを売りつけたりしてまで、成功したいわけじゃない。
綺麗事のように聞こえるかもしれませんが、これは高尚な倫理観というより、単なる「私の意地」なんだと思います。ズル賢く生きることはできるかもしれないけど、そんな自分を鏡で見たときに、絶対に好きになれないという直感があったんですよね。
綺麗事にも露悪主義にもなれない私たちの現在地
こうして自分の本音を深掘りしていくと、私がいかに中途半端な立ち位置にいるかがよくわかりました。
「社会貢献」を高らかに語る成功者への違和感
SNSを開けば、「ビジネスは愛だ!」「社会に価値を提供しよう!」と声高に叫ぶインフルエンサーがたくさんいますよね。
もちろん、それが本心なら素晴らしいことです。でも、毎日の満員電車で心身ともにすり減らし、「どうやって今日の残業を乗り切るか」で頭がいっぱいの私からすると、「いやいや、そんな高尚なこと言える余裕、こっちには1ミリもないんですが…」と、ものすごく遠い世界の話に聞こえてしまったんです。
「まずは自分が救われたい」という生々しい本音を隠して、無理して社会貢献などの綺麗事を並べるのは、なんだか自分に嘘をついているようで気持ち悪かったんですよね。
「会社員=奴隷」と見下す成功者への嫌悪感
かといって、逆に「会社員なんて搾取されるだけの奴隷だ!」「まだ会社で消耗してるの?」と他人を見下して煽るような発信者にも、強烈な嫌悪感を抱きました。
だって、私自身がその「会社員」ですし、私の友人や同僚たちもみんな、会社員として毎日一生懸命に働いているからです。
「たしかにしんどいし理不尽なことも多いけど、みんなそれぞれの場所で必死に戦ってるんだよ。それを安全圏から石を投げるようにバカにするなよ」って、心の底から怒りすら感じました。
どちらにもなれなかった自分が、どう自分を受け入れたか
「崇高な聖人君子」にもなれず、かといって「冷酷な合理主義者」にもなれない。
そんな、どっちつかずの中途半端な自分。でも、ある時ふと「それでいいんじゃないか?」と思えるようになったんです。
立派な人間ではないし、ズル賢くもなれない。ただ、自分の弱さや欲望(お金が欲しい、会社に依存したくない)は素直に認めつつ、最低限の仁義(誰かを踏み台にはしない)だけは守る。
この「等身大のグレーな自分」を丸ごと受け入れたとき、フッと肩の荷が下りて、ものすごく心が軽くなったんですよね。焦って誰かの真似をする必要なんてない。これこそが、私にとっての「リアルな現在地」であり、ここから自分なりの戦い方を組み立てていけばいいんだと確信した瞬間でした。
弱さや欲望をごまかさず、その上でどう生きるか
「じゃあ、綺麗事も言えない、ズル賢くもなれない中途半端な自分は、一体どうやって生きていけばいいの?」って話ですよね。
答えはすごくシンプルです。自分の弱さや、「お金が欲しい」「会社に依存したくない」というドロドロした欲望から目を背けず、それをガソリンにして泥臭く行動するしかありません。
副業を始めた理由
私が往復3時間の満員電車に耐えながら、パソコンを開いて副業を始めたのは、決して「世の中に価値を提供したいから」なんてカッコいい理由じゃありません。
「このままだと、いつか心か体が壊れる。でもADHD気味でミスばかりの自分は、会社をクビになったら妻や子どもを養っていけない」という、強烈な恐怖と焦りがあったからです。マイナスの感情からのスタートで全然構わないと私は思っています。むしろ、その悔しさや不安こそが、挫折しそうな時の最大の原動力になるんですよね。
転職した理由
実は私、「環境を変えれば自分らしく働けるかも」と期待して、転職を繰り返した経験もあります。
「好きなことを仕事に!」なんてキラキラした言葉にすがりついた時期もありました。でも、現実は甘くありませんでした。結局どこに行っても、理不尽な上司はいるし、やりがいのない業務は回ってくる。「あ、会社というシステムの中にいる限り、青い鳥なんてどこにもいないんだな」って、痛いほど思い知らされたんです。
資格を勉強する理由
「会社に期待しても無駄だ」と悟ったからこそ、私は自分自身に投資するようになりました。
通勤時間を使って資格の勉強をしたのも、「意識が高いから」では断じてありません。「いざという時に自分を高く売るための武器」が欲しかったからです。会社という他人が作った大きな船に乗りながらも、沈没しそうな時にいつでも自分ひとりで脱出できる小さなボートを持っておきたかったんです。
投資を続ける理由
副業で得た収入をコツコツ投資に回しているのも同じ理由です。
「社会を豊かにするため」なんて大それた目的はなく、ただただ「安心したい」からです。複利の力で資産が少しずつ増えていくのを見るたびに、会社という鎖が少しずつ緩んでいくような感覚がありました。自分の欲望をごまかさず、その欲望を満たすために、今日できる小さな行動を積み重ねる。それが、弱い私の唯一の戦い方でした。
聖人君子じゃない会社員の生存戦略
ここまでの失敗と葛藤を経て、私が行き着いた「等身大の会社員のための生存戦略」をまとめます。
綺麗事は抜きです。ズル賢くはなれないけれど、バカ正直に搾取されるのも嫌だという方は、ぜひ参考にしてみてください。
まず自分を守る
何よりも最優先すべきは、あなた自身の心と体です。
「会社の期待に応えなきゃ」「同僚に迷惑をかけられない」と無理をして、理不尽な上司のサンドバッグになり続ける必要はありません。当時の私はこれでメンタルを病みかけ、家庭の空気まで最悪にしてしまいました。
会社はあなたの人生の責任を取ってくれません。まずは「自分と家族の健康が第一」、これを絶対に譲れないルールにしてください。
依存先を増やす
なぜ上司の顔色をうかがってビクビクしてしまうのか? それは、会社からの給料「だけ」に依存しているからです。
月5万円でもいいんです。副業で「会社以外の収入源」を作ってみてください。そして、会社以外のコミュニティや居場所を持ってみてください。
「この会社がなくても、私には別の収入と居場所がある」と思えること。依存先を複数に分散させることが、そのまま心の安定(安心感)に直結します。
選択肢を持つ
私が副業を通じて一番欲しかったものは、お金そのものというより「いつでもこの会社を辞められる」というカードでした。
「いざとなれば辞めても生きていける」という選択肢がポケットに入っているだけで、上司から理不尽なことを言われても、「まあ、いつでも辞められるしな」と心の中で舌を出して受け流せるようになります。
実際に辞めるかどうかは問題ではありません。この「選択肢を持っている」という精神的優位性こそが、会社員にとって最強の精神安定剤なんですよ。
その結果として誰かの役に立てばいい
自分の身の安全を確保して、いつでも逃げられる選択肢を持てるようになって、ようやく心に少しだけ余裕ができる。
そうやって初めて、「読者のために役立つ記事を書こう」「同じように悩んでいる人の背中を少しでも押そう」って、心から自然と思えるようになったんです。
無理して最初から「社会貢献」を掲げる聖人君子になる必要なんてありません。自分の欲望を満たし、自分を守るために泥臭くもがいた結果、それが巡り巡って誰かの役に立つ。それくらいの順番で、ちょうどいいんじゃないでしょうか。
まとめ:見せかけの善を語るくらいなら、等身大の悪を語ろう
金は欲しい。自由も欲しい。会社に依存したくない。でも、誰かを踏み台にはしたくない。
これが、泥臭く副業を続けてきた私の嘘偽りのない結論です。「見せかけの善」を語るくらいなら、「等身大の悪(欲望)」を素直に認める方がよっぽど自分らしく、無理なく生きられます。
今の私は、「自分の弱さや欲望をごまかさず、その上でどう生きるかを考えている会社員」でありたいと心から思っています。もしあなたも、綺麗事ばかりの成功法則にモヤモヤしているなら、まずは自分の本音を認めることから始めてみませんか? 一緒に、等身大のまま「いつでも辞められる選択肢」を手に入れていきましょう!